じわじわと照り付ける日射しも半分程沈み、練習を終えた後の心地良い倦怠感に浸っていた。
軽くなった頭にも慣れて、息遣いも整いつつある。少し伸びた前髪をいじりながら、地面に視線を落とした。
「宍戸さん」
それは、いつもと同じように。
いつもと変わらず。
だから隣を見上げた。
「俺と、死んでくれませんか」
それは、語尾が消え入ってしまいそうな程弱々しく。
それなのに、夕日色に染まる愛しい笑顔は、言葉を失わせた。
この優しい眼差しが何より好きなのに、笑い返してやれなかった俺は、やはり、恋人失格なのだろうか。
「鳳も大概アホやんな」
忍足がストローを動かす度に、溶けきらない氷が涼しげな音を立てる。
カラ……ン……
深々と吐き出された溜め息に顔を上げると、丁度その目許が細くなったところで。
こんな何気ない仕草だけでこの男の元々の色気と言うか、艶かしさが引き立つのは天性の顔立ちの所為だろうか。忍足や跡部と並んでいると、つい同い年だと言う事を忘れてしまいがちだ。
「……飯奢ってまで相談してんだ、答えろよ」
つい見惚れてしまったものの、既に完食済みの器を一瞥してから睨み付けてやった。
が、まるで効果はなく、腹立たしい程関心のない返答に苛立ちが滲んでしまう。
やはり、跡部に相談するべきだったのかも知れない。
跡部相手なら金の要らない相談事だったし、もう少し真摯に答えてくれる。
何だかんだで面倒見は良いし、あの俺様っぷりさえ除けばさっぱりとした、馬の合う相手だ。
だが、そんな後悔をしたって結局辿り着く結論は忍足で。
何しろ俺の身近にいる人間で一番長太郎近いのはこの男なのだ。だから、仕方がなく忍足なんかに聞いている。
野郎同士の男役だとか女役だとか、それだけではなく。
忍足は、恋人である跡部を独占したがっている。
長太郎も同じだった。
俺も決して嫉妬しない訳ではないけれど、きっと恋愛に対するベクトルが違う。
俺の全部と長太郎の全部では同じにはならないし、出し惜しんでしまうから。
長太郎は俺がこうして誰かと二人きりで話す程度でもとても嫌な顔をするし、やたらと心配する。
一時は信じられないのかと喧嘩になりかけたが、分かっていても辛いのだと顔を顰められた。
独占欲が抑えられないのだと思う。
忍足はよく「宍戸さんを見るなオーラ、出てんで」と、長太郎を揶揄っているけれど。
俺からして見れば、跡部を眺める忍足も同じような顔付きでそのオーラとやらを醸し出している。
ああ、長太郎と似ているなと思った。
そんな忍足を見かけて以来、この手の相談事だけはこいつと決めていて。
尤も、役立った話は聞けた例しがないのだが。
「……まあ、分からんでもないけど」
曖昧な期待に思わず身を乗り出した。息を飲んで、レンズ越しの瞳を真っ直ぐに見つめる。
忍足は残りの珈琲を吸い上げて、口端をついと引き上げた。
「俺の口からは言われへんなあ。鳳に直接聞き」
あからさまに肩から力が抜けた。同時に、軽い自己嫌悪に陥る。
深刻な相談を揶揄われるくらいなら話さなければ良かった。
分かっていた、分かっていたけど。
「それが出来ねぇからお前に聞いてんだろうが!」
確かに結局のところはそれしかない。
でも、ここまで大雑把にしなくても良いし、俺は何かしらのヒントやアドバイスが欲しかったのだ。
無意識の内に立ち上がると、机を叩いていたのだろう。
ちらほらと刺さる視線に罰が悪くなって、舌を鳴らした。
忍足は言い訳をするでもなく静かに肩を竦めて――席を立った。
「ほな、また部活で。頑張りや」
「……っ、オイ、忍足!」
暢気に手を振って遠ざかる背中は本当に憎々しい。
追いかける気力も失って、空腹に項垂れた。
「宍戸さん!」
着替えを終えたところで駆け寄ってきた後輩に頬が緩んだ。
反対に、何事も無かったかようなやりとりは罪悪感を覚えさせる。
あの後は結局黙り込んでしまって、帰り道はぎくしゃくしてしまった。
ごめんなさい、忘れて下さい、そう言って眉を下げた長太郎の顔がぼんやりと蘇って。
直ぐに聞き返せれば良かった。
優しい面差しの裏であまりに痛々しい笑い方をするから、躊躇ってしまった。
軽い言葉は喉に痞えて、雰囲気に押し殺されて。
沈黙に首を傾げる長太郎。
燻っている何かが、痛い。
無かった事になったのなら安堵したいのに、如何して、如何してこんなに――。
「何であんな事言ったんだよ」
確りと見つめてしまっていたようで、視線が重なった。
驚いたのだろうか、半開きの口は間抜け面だ。
そんな俺も、半ば勢いで零れてしまったような問いに口許を覆う。
聞く事を恐れていたのに、長太郎のあんな顔を思い出したら耐えられなかった。
長太郎が盛大に溜息を洩らして、後ろ頭を掻いた。
「……怖がられちゃったかと思いました、お昼も逃げちゃうし」
苦笑する長太郎に、ぐ、と胸が締まった。
そう、きっと俺は忍足に八つ当たりしていただけで。
知りたかった、逃げたかった。
葛藤が腹の中を焦がしていた。
だから、長太郎と向かい合わずに知ろうとしていた。
――なんて狡かったのだろう。
「従兄弟がね、死んじゃったんです。一週間前、交通事故で」
突然切り出された話は、あまりに現実味のない。
けれど、長太郎の中では確かに在った悲劇なのだ。
「夏休みは必ず遊びに来てて、本当に可愛かったんですよ。あ、まだ小1だったんですけど」
俯いた長太郎の掌は固く結ばれていた。
何とか保とうと浮かべる笑顔は歪で。
「ついこの前まで一緒に遊んでたのに、あんまりにも呆気なくて」
止めたかった、もう良いと。
噤んだ唇を噛んで、制止を留める。
「俺、悲しくて、それで怖くなりました。宍戸さんがこんな風に突然いなくなってしまったら、って」
どれだけ辛かったのだろう。
思い詰めたのだろう。
俺には分かってやれない痛みを、どうやって宥めてやれば。
「だから俺は、貴方の最期が欲しい。あんな風に簡単に終わってしまうのは、嫌だ」
俺達はあまりに不安定だ。約束された未来は何処にもない。
満たされては形を見失う。
暗闇の中に1つ、置き去りにされたような。
そんな、月のような恋で。
「俺に、宍戸さんの最期の言葉を下さい」
――ああ、今にも泣き出してしまいそう、な。
伸びてきた腕は震えていて、長身は儚く見えた。
俺は強く抱き返して、存在を伝えた。優しくて怖がりなこの男が安心できるように、と。
どうか、奪わないで。
せめて今だけは、と。
誰にでもなく祈っていた。
end