「寒くないですか?」
「大丈夫、大丈夫」
言いながら立って、背伸びをした。少し肌寒い屋上から見える空は、少しだけオレンジ色で、冬のしっとりとした寒さが広がっていた。
若は、まだ半分以上残っているパンを見つめている。
俺はそれを一瞥し、顔を見られないように若から背けて、言った。
「卒業式、もーすぐ……だな」
「そうです……ね」
酷く悲しそうな声が聞こえた。来年の今、俺はここにいない。若は、俺が一緒にいなくても大丈夫だろうか。
……こんなことを考えていた、なんてバレたら、怒るだろうな。だけど卒業式までの数日間、たまにはなんでも言い合える仲になっておいた方が、お互いを信じられるだろう。
「向日さんは、俺がいなくても、大丈夫……ですよね?」
若は俺を見上げ、言った。
バツが悪い。
「ん……きっと、ダメだろうな……」
あはは、とカラカラ笑う。だって、若と過ごした時間は長すぎた。
高等部のコートはまだ見たことがないけど。
中等部のコートは、見るだけで若の声が聞こえてくるから。
『向日さん、下がって!』
テニスをしてる時の若は、俺はすごくカッコイイと思った。打球も強くて、鋭い。
若がいるから、俺は俺のプレイが出来た。思い切って跳べた。
『向日さん……今の、ナイスでした』
また一枚、若の映像がフラッシュバックする。
「かし……わかし……っ…………」
涙が、一粒。
頬を伝い屋上のコンクリートの上に落ちる。
俺は、泣きじゃくって、でも恥ずかしいから下を向いていた。
「向日さん?」
「お……れは、わかしがっ……っく……いないと……やだぁ……っ……ぁ…………」
「向日さん……」
涙のおかげで、顔がぐしゃぐしゃになってしまう。こんな顔、見られたくないのに。
若、呆れてるかな。どんなこと考えてるんだろう。若は、俺とは一緒にいたくないのかな。俺がいなくなったら、誰とダブルス組むんだろう。いやだいやだ俺以外と若がダブルス組むなんて考えるだけで嫌になる。これって俺のわがままなのかな。でも本当は、本当は、若にたまにはわがままを聞いて欲しかった。
そう思った時、ため息が聞こえ、服の掠れる音がした。
あぁ、やっぱり……ため息をつく程────。
「向日さん」
何。何だよ。どうせいつもみたいに迷惑そうな顔して、いい加減にして下さい、とか言うんだろ。聞き飽きたよ、それは。
「上、向いて下さい」
え?
「え────……わか……し……?」
なんで。
「なんでお前まで泣いてるんだよ……ぉっ……」
若は、優しそうな微笑みのまま泣いていた。
「俺だって、向日さんと離れるのは……悲しいんですよ……」
「わか……んっ」
急に手を掴み、若が俺にキスをした。
一瞬、時間が止まったような気がする。
「……すみません……初めて……でしたか?」
頬が赤くなるのがわかった。
「当たりですか……すみま……」
「嬉しかったぜ……」
若の言葉を遮るように俺は言った。それは本当のことで。
でも、素直になれない、強がりの俺は、ソッポを向いた。
後ろから若が、強く強く俺を抱きしめる。
「シングルスで頑張って下さいね」
「うん」
「たまには練習、見に来て下さい」
「うん」
「俺以外の人と、ダブルス組まないで下さい」
「うん」
「俺以外の人に、笑いかけないで下さい」
「うん」
「……好きです」
「うん」
「え!?」
驚いて若の手を振りほどいてしまった。
初めて聞いた言葉だったから。思わず。
「もう言いませんよ」
若は優しく微笑んで、舌を出した。
意地悪な君。
ヤキモチ焼きな君。
独占欲が強い君。
俺が好きな君。
愛してるってだけじゃ、足りないのかな。
「好き」
「知ってます」
頭をポスポス叩かれた。
やっぱり、若の腕の中は、心地良い。
あぁ、このままずっといられればいいのに────
fin